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【後編】「自分の夢がある。だから子ども達に夢を持たせられる」オブリガードサッカースクール代表 藤田豊氏

スポシル編集部

公開日 :2018/08/13

更新日 :2019/09/11

プロスポーツ選手引退後のセカンドキャリアが問題視されている今。17歳という若さでプロサッカー選手となった藤田豊氏は現在大田区、田園調布を中心に開校している「オブリガードサッカースクール」の代表をしている。

「プロスポーツ選手もビジネスも変わらない、大切なのは夢を持ってそれに向かっていくこと」という藤田氏にオブリガードサッカースクールの開校の経緯から、いま伝えたいことに関してまで語っていただきました。

後編の今回はプロ選手、ビジネスマンと二つの世界を経験したからこそ藤田さんが伝えたいことを語っていただきました。

前編をまだ読んでない方はこちら

目次

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サッカーを始めたが夢が全くなかった小中学生時代

藤田さん_素材_11
僕は小3からサッカーを始めました。小学校の時はリフティング9回しかできないかったし、中学校のサッカー部員は2人。中学校は本当は部員8人だったが練習には誰も来なかった。僕ともう1人以外幽霊部員。残りの6人が試合に来ても何もしないで試合に出て相手の顔を殴ってレッドカードもらって喜んでいるような人たち。種目が違ったような人たち。スライディングして相手を削ってイエローカードをもらったら、レッドカードがいいと言い出すレベル。俺なんてもちろんプロなんていけるようなレベルではないし目指すような領域でもなかった。ただあと1人が好きで一緒にやっていると楽しいだけでやっていました。もちろん選抜にもなにも入ることもありませんでした。

そんな中学校時代にある転機が訪れる

中学校2年の時に中田英寿さんを好きになって、サッカーより中田英寿さんに興味を持ちました。彼の生き方とかサッカー観とか日本からペルージャ行ったりとか。その頃は全盛期で大好きでサッカーが好きというより中田英寿さんに会いたくてヨーグルトを食べまくってました(笑)結局毎日ヨーグルト食べていても当たりませんでしたが。だけど、アクエリアスが募集していたフランスワールドカップに応募したら当たって行ってきました。そこで生まれて初めてサッカーのスタジアムに入りました。

人生が変わった偶然行ったフランスワールドカップ

そしてら全身に鳥肌が立った。チリとカメルーンの試合だったんですが、

「あ、もう俺ここ立ちてえ」

と思ったのを今でも覚えています。一瞬でめちゃめちゃ深い大きな夢を持ちました。そこからの自分の人生、気持ちが変われば行動が変わるとよく言うけどその通りでした

夢を持ったから気持ちが変わった。気持ちが変わったら行動が変わった。

どんな風に変わったのか

一番大きく変わったのは社会人チームに入ったことでした。電車で2駅いくと社会人クラブがあると知ると、その監督さんに自分で調べて電話しました。中学生は怪我するから来るなって言われたけど、練習日は知っていたから行きました。怪我してもしても知らないからなって言われてやらせてもらったのがきっかけでした。今では師匠です。地元に帰ったら必ず会いに行く人で、その人がいたからプロになれたと思っています。中学校のサッカー部の先生は女の先生で、一回も練習に来たことがありませんでした。だから初めてサッカー本格的に教わりました。

強く思うものがあったから誰もしないことが出来た

1年間くらい朝6時から自主練して、部活やって、その足で電車乗って社会人の練習行って、みたいな生活をずっとしていたら少しずつレベルが上がっていくのを感じました。昔から体がデカくて、足もすごい速かった。今じゃその面影ないけど(笑)力はついてきた。茨城県は4つに分かれるんだけど、県北の選抜に入り少しずつ自信がついてきて中3を迎えた。中3の夏にたまたまアントラーズのセレクションがありました。実際中2の俺がプロになりたいって思って帰ってきた何か月後かにジュニアユースのセレクションがありました。受けて落ちた。200名くらい来ていて合格者0。俺はそこで人と違うことをしました。

「なんで落ちたんですか、どうしてももう一度チャンスをくれませんか」

と手紙を書きました。俺は本当に良いプレーができたと。自分で言うのも変だけどそういう想いがありました。返事はすぐに来ました。

「ちゃんと見てました。今中2でこれからユースのセレクションが1年後にあるわけで、今から引っ越しをしてきてもユースのセレクションに落ちてしまうと君の人生を無駄にしてしまう。もう一度ユースのセレクションに来てくれないか」

と言われました。今思えばこれは行動で、誰もしないことが俺は中学生ながら出来た。そこの根底には夢があるから。絶対こうなりたいというものが強くありました。

人生のターニングポイントとなったセレクション

ユースのセレクション受けたら890人くらいいて、俺が与えられた時間は2分のゲーム1本。890人を一日で見るから。俺はセレクションめちゃくちゃ強かった。1次試験は多分手紙の甲斐があって合格できた。その手紙がなかったら100%落ちてたと思う。見てもらえもしなかったと思う。2次試験も受かって、ジュニアユースとの試合で俺神がかりのプレー連発しました。結果的に合格しました。

やってんだから俺は絶対負けない

もし落ちていたらブラジルに行こうと思っていました。でもいつもの自分ってくそ下手だし、サッカーも知らないし、周りは県選抜の人たちしかいませんでした。高1の時に自分の学年の試合に出たことがない。ラインズマンばっかりやらされたいました。高2の時に後輩にポジション奪われた。歴然の差だでした。必ず高校終わってそのままチャリで10km通って練習場まで行って、雷の日もチャリで行って、練習が8時に終わってご飯食べて洗濯して、そこからウェアきて、ボールの空気抜いて、空気入れバックに入れて、夜中の0時から3時まで練習をしました。1月1日以外364日やっていました。豪雨の日も雪の日も雷の日もやりました。これだけは自慢できます。寝てないから授業中は全部寝てました。ただボールを蹴ってるだけなんだけど、やってるっていう行為にちょっとずつの自信がついていきました。

キックが上手くなるっていうよりかは自信が付いていく。やってんだから俺は絶対負けないっていう心が備わってきました。頑張っていると誰か見てくれていました。ラインズマンから早く抜け出したい一心でやっていました。ユースのコーチが夜中たまたまランニングしていたら俺がいた。監督にはすごい怒られた。その頃から少しづつ信頼してもらえて、高2でやっとポジション奪い返したと同時に俺が試合に出始めました。鹿島アントラーズのジュニアユースで、中学校の日本代表のセンターバックが2人もいたが2人とも辞めていった。なぜかというと俺にポジションを取られたから。こんなくそ下手な奴に。

栄光も何もないからこそ頑張れる

何が言いたいかっていうと、今すごいうまい子たちっていっぱいいるんだけど、みんな今が絶頂なの。過去の栄光がある人はちょっとした挫折ですぐ辞めてしまう。俺はそんな栄光も何もないから頑張れた。みんなはやめてった。ポジションを奪い返した。めちゃめちゃ自信がついてきた。

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夢をもってから3年後のシンデレラストーリー

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その中で2002年を迎えました。日韓W杯があってメンバーがアントラーズから6人も選ばれていました。当時俺はセンターバックをやってたけどW杯期間中もナビスコカップ戦はあったからどうしてもセンターバックが足りないからユースから借りようってなった。高3の先輩がいたけど怪我をしていました。3番手の俺しかいないってなって、生まれて初めてテレビで見ているプロの人たちと練習をしました。

俺は興奮して夜も眠れませんでした。俺はそのために夜中練習をしました。そしたらまたスイッチが入っちゃって、神がかっちゃった(笑)当時ブラジル代表のエウレルって選手がいてダイレクターにジーコがいました。そんな環境でした。エウレルをマークしていてめちゃめちゃ激しくいきました。

ようやく訪れたアピールの場

チャンスがここしかなかった。スイッチ入っているのが自分でも分かっていました。ぎらついちゃった。めちゃめちゃ怒られました。通訳に「明日試合だぞ、頼むからやめてくれ」と言われて更に行きました。わざと蹴っ飛ばしたりしていました。そしたら髪を引っ張られて、めっちゃめちゃキレられた。俺は自分の人生かかっているからいいやと思っていました。これは戦いだからしょうがない。でも終わってからごめんねと謝りました。

そしたらユースの監督から親を呼べと言われて、怒られると思って親にすぐ来てと連絡しました。そしたら記者会見でした。そこまでが俺のシンデレラストーリー。そこから続かないけど(笑)

評価してくれたのは削った相手だった

ユースの監督から言われたのはエウレルがお前を評価した。俺に対してあんなことやってくるメンタル強い若手は選んだ方がいいよって言ってくれて2種登録の契約をさせてもらいました。見たことのない金額が並んでいました。ハンコ押してくれってその日の言われ、理解できませんでした。本契約して記者会見をした怒涛の出来事でした。
そこからは午前中が練習だったので高校年間30日くらいしか学校行っていません。夢をもったのが中2。その3年後には実はシンデレラストーリーがありました。

自分にしかできないこと

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俺は5月9日誕生日なんだけど、18歳の高3になった5月9日に浦和レッズ戦がありました。そこで生まれて初めてデビューできました。自分の誕生日にデビューできた。だからこそ3年間って本当にラッキーがついたかもしれないけど。人の人生どうなるか分からない。もし手紙を書いていなかったら、多分地元の日立の工場で洗濯機作ってると思います。だから自分しかできないことって絶対あると思っています。だから小学生に教えたいことってすごく深くて、逆に言ったらサッカーのテクニック教えるって俺はできません。俺じゃなくてもできる人はたくさんいます。上手い人ができる。俺が教えたいスクールはそこではありません。

誰にだってチャンスはある

小学校と中学校ってサッカーが大好きでした。勝ち負けが関係なかったから。負けるしかなかったから。でもその当時サッカーやってても楽しかった。その楽しさがあったから、どんな辛いことも辞めませんでした。でもみんなは栄光があって。栄光って楽しいじゃん。上手くなったら楽しくなる。でも挫折には弱い。もろい。プライドがあるから。でも俺には楽しいっていうプライドがないから、別にプロになれなくても当たり前のような存在だったから、その気持ちの持ち方ってすごく大事だと思っています。小学生にそこまで伝えないけど、どっちかっていうと、上手くなりたいっていう子がいたら、誰にもチャンスはあるんだよって、チャンスあげたいなと思います

プロ選手を輩出するのはこれからって感じですか?

代表の選手とかになってくれる人を育てたいです。本当に誰にでもその可能性はあると思っています。誰一人として代表の可能性が0の人っていません。だから超楽しい。逆に代表が決まっている選手って0でしょ?将来分からないからさ。すごい面白いと思いながら接しています。

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藤田豊氏

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1984年5月9日生まれ。茨城県出身の元サッカー選手。現役時のポジションはDF。2000年に鹿島アントラーズユースに入団。ザスパ草津、ブラジルのCFZ・ド・リオを経て現役を引退。引退後は保険会社の営業を経て実業家に転身。現在はオブリガードサッカースクールの代表のほか多くの事業に取り組んでいる。

オブリガードサッカースクール公式サイトはこちら↓↓

オブリガードサッカースクールの公式サイト

元プロサッカー選手藤田豊氏が歩むセカンドキャリア。ビジネスマンとしての軌跡についてはこちら↓↓

元プロサッカー選手藤田豊氏が歩むセカンドキャリア。ビジネスマンとしての軌跡

 

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